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2010年公開の『イヴの時間』を久しぶりに観返してみました。

舞台は人とアンドロイドが共存するようになった未来の日本。人はアンドロイドをサポート役として、あくまで"物"として利用するが、中にはアンドロイドに情を抱く人もいる。ある日、「人とアンドロイドを区別しない」をルールに運営される『イヴの時間』という喫茶店を訪れた主人公は、そこでアンドロイドが人を理解しようとしていることを知る。

『イヴの時間』で過ごすアンドロイドたちとの時間をとおして、人は何を感じるのか、人とアンドロイドの関係はどう変わっていくのか、という話。

ロボット三原則の使い方がうまい

イヴの時間に登場するアンドロイドはみんなロボット三原則を守るように作られています。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

ウィキペディア ロボット工学三原則より
このロボット三原則が物語に重要な役割を果たしているのですが、ポイントは「嘘」をついてはいけないとは書いていないこと。この解釈が絶妙で、ストーリーに深みが出ていて最高です。

一方、命令する人が複数いた場合、その優先度はどうやって判断しているのかについては少し疑問が残りました。

自我を持ったアンドロイドは人を理解しようとする

アトム ザ・ビギニング」や「AIの遺電子」「スキエンティア」など、自我を持ったアンドロイドが登場する作品はいろいろありますが、共通しているのはアンドロイドが人を理解しようとしていること。

イヴの時間ではいろんなアンドロイドがそれぞれ違った視点で人を理解しようとしていて興味深い。それこそが自我を持つということなのだと思います。

ヒト型でもなければ自我も持っていませんが、SiriやAmazon Echoといった製品が登場している今、イヴの時間のような作品を観ると面白いです。ちなみに、僕はロボットがヒト型である必要はないと思っています。人と同じことを求めるのではなく、(人にもできるけど)ロボットの方が得意なこと、ロボットにしかできないことをするために最適化された形になっていればいいですね。