本書のメインテーマとは違う話なのですが、『マイノリティ・リポート』を観たときに、ある人が「犯罪予測システムで捕まるとわかっていても犯罪がなくならないのは何故かを考えると面白い」と言っていました。
僕は犯罪予測システムの欠陥や、冤罪の可能性などに目が行っていたので、なるほどそういう見方もあるなと感心した記憶があります。
技術が発展してやがて監視社会になり、どこへ行くにも何をするにも認証が求められる社会。自由なのか自由じゃないのかよくわからない社会。それはそう遠くない未来の姿だと思います。
監視社会では計画犯罪はなくなっているのか、衝動犯罪への対策は可能なのか、そんな視点で本書を読むのもありなのかもしれません。
本のタイトルにもあるように、虐殺がテーマの1つになっているため描写はなかなかグロく、文章から頭に鮮明に入ってくるイメージも強烈です。それに耐えつつ読み進めると、言葉と思考の関係性というテーマに惹きつけられます。
"虐殺の器官"の意味を知ったときの戦慄。それぞれの登場人物が抱く罪と罰。読み終えたあとにこれほど切ない気持ちになる小説だったとは思いもしませんでした。
哲学的な色が濃く、「罪と罰」が主題とも取れる内容のため、読了感が決して良いとは言いません。でも、また読み返すと思います。何より、伊藤計劃さんが若くして亡くなられているという事実もまた切ない。
虐殺器官を読んだあとは、続編とも言える『ハーモニー』も読むことをおすすめします。